アビシュカール

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ネパール語で「発見」

川喜田二郎の死

川喜田先生が亡くなった
【産経抄】7月11日

私が初めて先生にお会いした時は、既に全盛期を過ぎていた。
それでもKJ法はまだまだ知名度があった。
現在ワークショップでポストイットを利用する方法
KJ法はその原点ともいえるようなもの。
もともとヒマラヤでというフィールドで得た情報管理のために編み出されたKJ法
徹底的で真摯な情報管理姿勢は、崇高な感じすらした。

私が初めてネパールを訪れたのは、川喜田先生の団体によるもの。
登山家として、KJ法以外で
先生がNGO活動をしていたことは、あまり知られていない。
現在はNPO法人ヒマラヤ保全協会として
その前身は1974年に設立されたNGOヒマラヤ技術協力会
エコツーリズムも1980代には積極的だった。
海外協力NGOのさきがけともいえる。

文化人類学者からの立場から
適正技術、環境保全、住民参画などのキーワードを基に
ネパール山岳住民に技術協力を行ってきた。
世の中、まだそんなものに見向きをしていない時代に
早くからその重要性を唱えていた。

私がお会いした時は初老の頃
とても上品な方で、名誉とか世俗の欲には興味を持たない方というのが私の印象だ。
それでも、権力には決して屈しないという頑強さがあった。
家にも泊まっていただいたことがあった。
娘の名前も、先生にゆかりの深いネパール山村名からいただいた。
それもあって
先生の全集作成時、その村の調査書の翻訳を任された。

配偶者とは深い信頼関係があったようで
私の手術の日、奥さまからご連絡をいただいたき
親族と共にということで、最後のお別れに出かける。

私と娘は、家でご冥福をお祈りしたい。


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by roman-tan | 2009-07-11 16:44 | Nepal