アビシュカール

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ネパール語で「発見」

瞽女(ごぜ)

瞽女(ごぜ)というのは、北陸等の寒い地方の話だとばかり思っていので
駿府(静岡市)にも多くの瞽女がいたという話を聞いて、とても驚いた。
静岡県でも沼津や三島にも多かったそうだ。
伊豆の戸田には瞽女展望地もある。

「はなれ瞽女おりん」で初めて難しい漢字の
瞽女
という言葉を知った。
映画を見た記憶はないけれど、この単語はこの映画から学んだ。





「三味線を手に村々を流し歩く目の不自由な女性たち」という瞽女
もともと全国にいたらしく、越後地方の瞽女だけが最後まで残った。
残った理由は、長岡、高田両藩の瞽女集団への手厚い保護があったそうだ。
これは江戸時代の一種の社会福祉政策であり
全盲女性に対する按摩以外の自立支援政策といえるものらしい。
また、北陸地方は眼病が風土病のように多く視覚障害者も多かった。
そのため瞽女が全盲女性の自活方法として定着したと考えられる。


駿府の有名なお寺宝台院は瞽女やホームレスに場所を提供していて、そこに多くの瞽女が集まっていたらしい。
静岡大火で全焼してしまったが
江戸初頭の見事な大伽藍を配置した寺院建築の大傑作といわれる宝台院
地域における寺院の福祉機能というものもすごいと思う。
貧困と差別が故に生まれた伝統文化
ものすごい存在感と衝撃はだんだん化石になっていく。


参考:

なぜ瞽女は越後周辺に集中しているのか

家康公を学ぶ
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by roman-tan | 2009-11-08 19:49 | 発見