2010年 09月 15日
神葬祭
初めて神道による葬儀、神葬祭に参列した。
本来は日本独自のものであろうが
まずお線香がない、お雛さまに出てくる装束の方々が登場
笛や笙(しょう)の演奏、お辞儀のしかたとか・・・・
どれこれもが目新しくて興味深かった。
こんな感じの葬儀。
全く知識がないので調べてみたら
今もって判読不明だけど
ネパールの山奥の祖霊祭に似ているなあと思った。
神官が祭祀を執り行い
「死」を「穢れ」として扱う点など。
バリバリ現役のシャーマンもいた。
八百万の神を祀る神道も祖霊信仰が入っている。
宗教そのものが生活という人もいるけれど
私には葬儀というのは宗教というより生活慣例であり
そこに宗教観とか見出すのは難しい。
でも、遥か遠い昔の生活はそのものが宗教の中にあったはずで
それに思いを馳せる非日常的な時間
葬儀というのは貴重な時間だと思う。
珍しい神葬祭体験だったけど
その前に食した「お櫃鰻茶漬け」がまた美味しかった。
私には絶対に食べれない量のはずなんだけど
食べてしまった、葬儀の前にもかかわらず。
ちょっと、味が私には濃かったかもだけど。
本来は日本独自のものであろうが
まずお線香がない、お雛さまに出てくる装束の方々が登場
笛や笙(しょう)の演奏、お辞儀のしかたとか・・・・
どれこれもが目新しくて興味深かった。
こんな感じの葬儀。
全く知識がないので調べてみたら
日本固有の葬儀は、仏教伝来以降、急速に仏式のものが普及した。さらに江戸時代になると、キリシタン対策のための寺請制度(てらうけせいど=人々は必ずどこかの寺に所属しなければならないという制度)により仏式の葬儀が強制された。だが江戸時代の中後期になると、国学の興隆によって国学者たちが日本古来の精神・文化に立ち返ろうと訴える中で、神葬祭の研究も行なわれるようになり、日本古来の信仰に基づいた葬儀を求める運動(神葬祭運動)がおこった[1]。その結果、幕府は限定的に神葬祭を行なうことを許可した。唱えるように渡された呪文のような文章が
明治時代になると、政府の神祇政策の一環として神葬祭が奨励された[2]。例えば、神葬祭専用墓地として青山霊園が設立された。1873年7月18日には火葬が仏教の習俗であるとして禁止された(1875年5月23日解禁)。地域によっては神仏分離や廃仏毀釈に伴い、地域ごと神葬祭に変更したところもある。明治憲法では信教の自由が制限付ではあるが保障されていたため、強制されることは無かった。しかし、葬儀は宗教行為とされる一方、公務員に相当する神職(神社神道は宗教でないとされていた)は宗教活動である神葬祭を行なうことを禁止され(例外的に府県社以下神社の神職は当分認められた)、宗教活動の出来た教派神道を除いて、神葬祭の普及は停滞した。戦後、神道が宗教としての立場を取り戻し、葬儀に関わることができるようになった。(Wikipediaより)
今もって判読不明だけど
ネパールの山奥の祖霊祭に似ているなあと思った。
神官が祭祀を執り行い
「死」を「穢れ」として扱う点など。
バリバリ現役のシャーマンもいた。
八百万の神を祀る神道も祖霊信仰が入っている。
宗教そのものが生活という人もいるけれど
私には葬儀というのは宗教というより生活慣例であり
そこに宗教観とか見出すのは難しい。
でも、遥か遠い昔の生活はそのものが宗教の中にあったはずで
それに思いを馳せる非日常的な時間
葬儀というのは貴重な時間だと思う。
珍しい神葬祭体験だったけど
その前に食した「お櫃鰻茶漬け」がまた美味しかった。
私には絶対に食べれない量のはずなんだけど
食べてしまった、葬儀の前にもかかわらず。
ちょっと、味が私には濃かったかもだけど。
by roman-tan
| 2010-09-15 21:09
| 発見