アビシュカール

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ネパール語で「発見」

ミャンマーの悲劇の続き

ミャンマーには行ったことがないので
報道される悲劇を痛ましく思うけれど、色々な状況がよくわからないなあと思っていた。
時間を追って、ちょっと見てみると

[2001年01月20日 東京夕刊]
ミャンマーの悲劇 どこかの国が「いい子」のせいで…(編集委員 高山正之)
抜粋すると
 90年代初めのミャンマーはなまじの貧しさではなかった。この国は元英国植民地では異例の非英国的右側通行になる。というのもビルマ人は「英国」が大嫌いだからだ。英国人はさまざまな手口でビルマ人のアイデンティティーを奪った。十九世紀末には国王以下の王族をインドの果てに島流しにして、国民の求心力を奪った。そういう過去があるからビルマは独立するとすぐに英国のにおいのするものはすべて排斥した。ヤンゴンの外語大も、英語を教科から外し、日本語を入れた。交通ルールもそのときに英国流の左側通行から右側通行に変えた。
 国父アウンサンの暗殺後、英国に渡ったきりの一人娘スー・チーが三十年もたって英国人の妻になって戻ってきたとき、ビルマ人は正直、戸惑った。彼女は英国人になりきっていたからだ。「政治集会やデモの場合、どこの国もそうだが、ここも届け出制にしている。しかし、彼女は故意にそれを無視する。政府がたまりかねて規制すると『民主主義を弾圧した』と騒ぎ立てる」(山口洋一前ミャンマー大使)。骨の髄まで嫌みな英国人なのである。
 英国に次いでビルマの人々は中国を嫌う。中国人は植民地時代に入り込み、英国人のよき手先となってビルマ人を搾取した。英国人が引き揚げたあとも彼らは居座って経済実権を握り続けた。生活は貧しく不便だったが、国民は我慢した。それが自分の国を取り戻すためだと知っていたし、同じような状況のベトナムが華僑追放という強制手段を選んで、戦争(中越紛争)に巻き込まれたのよりは、ましな方法だと認識していたからだ。
 しかし、中国人はビルマ乗っ取りにもう一つ、手段を講じた。共産ゲリラの侵入だ。彼らは社会不安をあおりながら南下し、70年代にはヤンゴンのすぐ北のペグーにまで進出した。これを掃討したのが今の政権を担当するタンシュエである。
 スー・チー問題を口実に欧米がミャンマーに経済制裁を科し、日本が右にならえをしていたころである。この国の経済はそれでほぼ破綻しようとしていた。その窮状に援助の手を差し伸べたのがほかならない中国だった。 “英国人スー・チー”に屈するのか、嫌いな中国の援助を受けるのか。
 そのミャンマーに、もっと苦しいはずのユーゴが三千万ドルもの経済援助を約束した。妙な話には裏があって「実は日本から巨額のODAを引き出している中国が背景にいて」(本紙バンコク特派員電)、ユーゴを迂回して援助しているという。中国政府は強い調子でこの説を否定するが、日本のカネが回り回ってミャンマーのクビを締め上げているのは間違いない。
 腹に一物も二物もある国々の言いなりになっていれば、日本はいい子でいられる。でも、そのおかげでどこかの国が今、植民地になろうとしている。
[2005年5月8日]
宮崎正弘の国際ニュース・早読み
抜粋すると
 華僑は最近、随分と雲南省あたりからミャンマーへ流れ込み、商業地を買いあさっている。新築のホテルや商店は華僑系が多いというので「台湾系も?」と聞くと、「台湾系は蒋介石との過去のいざこざがあり、国民党残党はタイ国境へ去って、ゲリラを指導したりしたため、ミャンマーと台湾は外交的に仲が悪い、したがって台湾華僑は滅多にいない」と答えた。
緑が多く、共同井戸、溜め池。ここには古き良き農村共同体が息づいている。
 庶民は藁葺きの高床式の掘建小屋に住み、テレビなんぞあるわかはない。外国人を見たことのない農村の子供達は恥ずかしがり屋、それでいて人なつっこく、物売りもまったく摺れていない。トタン屋根の家が付近では金持ちと見なされ、平野部でとうもこし、綿、ゴマの栽培、丘陵部では焼き畑農業が主である。バングラデシュやネパールほどの貧困でもないのである。
ミャンマーの人々が貧困に喘いでいても、人間性が豊かで、哲学的な人生への取り組みが比較的どっしりとして見えるのは仏教を基礎とする伝統文化を尊ぶ民族の精神である。 ミャンマー元国王はイギリスにより印度に拉致されてから半世紀以上も経った。その権威の代替を軍部が行うため、ミャンマーの統治形態もペルシアやサウジと同様に伝統的権威の確立はひどく遠のいてしまったのだ。
 このような歴史の経緯とミャンマー的統治原理を理解しない欧米が、伝統を無視したスーチー女史を支援し、一方で人権を楯とした経済制裁を行っている。制裁は率直に言って無意味である。それに唯々諾々として従う日本は、外交力の基礎がなきに等しい。
 ミャンマーの未来はそれほど明るくはないが、民衆の目の輝きを見る限り、暗くもない。それにしても、台湾といい、インドと言い、ミャンマーも日本への期待は想像以上に大きい。これらの親日国家を日本はあまりに粗末に扱いすぎていないか。
2007年9月30日
BBCのビルマ関連報道(イギリスではビルマと呼んでいるのはなぜ?)

長井さんに関する報道(カメラを放さない最後の姿が・・・)

バングラデシュへのイスラム教ビルマ人難民(バンクラデシュと隣りあわせだった!)

私の味方もちょっと偏っていたような気がする。
もちろん、民衆に銃を向けることは許されるべきではないけれど
歴史的背景があり、スーチー女史が一方的に正しいわけでもない。

ミャンマーに限らず、様々な国の問題対して
日本はもっと独自の見解で対応すべきだと感じる。
特にアジアにおいては世界での日本の責任と期待は、もっと大きいはずなのに・・・
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by roman-tan | 2007-10-01 12:02 | 発見