アビシュカール

alpinetaro.exblog.jp

ネパール語で「発見」

チベット

ネパールにはチベット難民が多く住んでいて
観光客向けのレストランを開いたり、土産物を売っていた。
文化大革命による中国のチベット侵攻で難民となったチベット人
今は、その子供、孫の世代になっている。

チベット僧院封鎖、ダライ・ラマへの勲章授与受け
チベット自治区の主要都市ラサでは、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世に米議会の最高勲章「ゴールド・メダル」が先週授与されたことを受け、少なくとも1カ所の僧院が軍部隊によって封鎖されている(2007.10.25)。
中国は、ダライ・ラマへの勲章授与が気に食わないわけだ。
チベットの文化を破壊し、難民生活を強いられたチベット人
その辛さを、カトマンズでチベット人から聞いたことがある。
中国政府がどれだけひどいことをしたのか
そしてそれが、現在も行われているとしたら情けないことだ。


チベットにまつわる思い出のひとつ
まだカトマンズ空港で、荷物を飛行機までトラクターで運んでいた頃
待合室で搭乗を待っていると、白人紳士が声をかけてきた。
「香港行きのフライトですか?」
帰路は一人で、香港1泊予定だった。
紳士の名刺には、アメリカ大使と書かれていた(当時はまだネパールも長閑な国だった)。
「このチベットの少女は、香港経由でLAの大学に進学するためにアメリカに行く。けれど、英語もまだあまり話せないし、国からでたこともない。香港には迎えが来ているから、連れて行ってほしい」と頼まれた。
座席に座るのを見届けて、香港空港で一緒に迎えが来るのを待ってあげた。
結局、私も迎えの人に予約したホテルまで送ってもらった。

ハリウッドでスチールカメラマンをしていたという騒々しい出迎えの香港人
黒リムジンの迎えの車
何も話さず、ただニコニコしていたチベット人少女
私の風体はいかにも日本人的だったから、紳士は声をかけてきたのだろう。
紳士と少し話をしてみて、信用できそうだったので引き受けた(大学が一緒だった)。
今考えると、ちょっと危険な感じがしないでもない。


f0077807_15372787.jpg

あのチベット人少女は、アメリカまでたどり着いただろうか。
きちんと大学へ入れただろうか。
ネパールでチベット人にはたくさん会ったけれど
彼女のことは、どうしているかと何故か時折思い出す。
[PR]
by roman-tan | 2007-10-26 15:43 | Nepal