アビシュカール

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ネパール語で「発見」

ブラジルと建設大学

今日の朝日新聞の朝刊記事「地球異変:食われるアマゾン」
大豆畑へと森林が変わっていく状況について、大きく取り上げられている
アマゾン流域の森林破壊については、もうかなり前からいわれ続けている。
反論した本もあるけど・・・・
環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態ビョルン・ロンボルグ (著), 山形 浩生 (翻訳)
アマゾンの森林は人類が誕生してからわずか14%しか減少していない
新聞記事中の「1980年ごろから日本の資金援助、農業専門家派遣がされている」
もちろん、JICAが発展途上国に対する援助として行なわれていただろう。
国際協力事業団(JICA)は、1974(昭和49)年に「海外技術協力事業団」、「海外移住事業団」等の業務統合により設立され、2003年10月1日に「独立行政法人国際協力機構(JICA)」が発足された。
そう、JICAの全身は移住事業団でもあった。
それと、富士宮根原にあった旧建設省の建設大学とブラジルの関係
建設大学は1996年に廃校となり、現在は冨士教育訓練センター(静岡県知事認定)として残る。
建設大学が積極的にブラジルの開拓・移民に関っていたという話
建設大学は、治山治水等の土木事業に適応する高度技術をもった技術者供給のために開校された。
昭和35年(1960)12月21日の衆議院建設委員会の議事録を読むと、その目的がよくわかる。
建設省の組織が、なぜブラジル開発と深い関係を持つのかずっと漠然とした疑問だった。
建設大学は、建設省管轄の学校(正確には建設大学校中央訓練所)であり
中央訓練所産業開発青年隊とも呼ばれ、土木業界の予備軍養成機関でもあったそうだ。
そこでの生活は
「学費免除」、全寮制の教育の中に軍隊規律が取り入れられていた。ふとんのたたみ方から食事の作法まで、先輩に体で仕込まれる。1日3回、決まった時間に点呼があった。朝6時起床、夜10時消灯。その間、“地獄の特訓”に耐えつつ、土木関連の技術を学ぶ。厳しさを例えると、「1年虫けら、2年奴隷、3年人間、4年神様」
この「産業開発青年隊」というのは
戦後の1951年、農村部の二、三男たちに建設や機械等に関する技術を教え国の復興に活用することを目的として設立されたものである。

当時建設省技官で産業開発青年隊の生みの親であったのが、長沢亮太氏だ。
長沢氏は大学在学中学徒動員で出征。陸軍少尉として戦車部隊に入り桂林作戦に参加。戦後厚生省人口問題研究所に入り4年間の研究生活を送った。移住事情の視察の為、渡伯した際優秀な能力を持っていながらドイツ、イタリアに遅れを取っている日本人には協力一致の精神に欠けているとの感を深くし友愛と団結を精神的支柱とした産業開発青年隊の構想を持った。しかしこれを発表した所、不穏な思想の持ち主であるとして米軍に拘引され20日間のブタ箱生活を送ったという。この構想が建設省に採用され、建設省海外協力課課長補佐、総理大臣官房審議室連絡庁官を勤め、元建設省建設大学校中央訓練所所長代理となった。
他県にも産業開発青年隊はあるが、建設大学にあったものは別格だったようだ。
これで納得できたけど、戦争の臭いがプンプンする。
日本の高度成長期の建設大学、道路行政、土木・建設関係・・・時代が必要としたのだろう。

一度も訪れたことはないけれど、建設大学跡の様子はこちらのブログから見れる。

アマゾンの森林破壊と日本の関係
在留ブラジル人も多いし、けっこう身近な問題
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by roman-tan | 2007-10-28 15:45 | 森林