アビシュカール

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ネパール語で「発見」

秋葉原

先日の痛ましい秋葉原の事件で思い出すのは
ブログでも書いたけど去年話題になった

「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。

けっきょく、「自己責任」 ですか 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで
(赤木智弘)

言葉による主張ができない犯人は、殺人という形を選んだ。
事件について、親の世代に当たる人の話が興味深かった。

ゆとり教育が導入されて、ある日突然大人が変わった。
今まで怒ってばかりの先生が、怒らなくなった。
自由にやりたいことをといわれた子どもは戸惑った。
ところが、中高になれば厳しい現実があって
そこだけはゆとりなんかはなくて昔とちっともかわらない。
それでも大学は卒業した。
けれども就職難の時代で、勝ち組はほんの一部、フリーターとなる。
いつも揺れ動く大人も社会も信じていない。

もちろん狂った事件という大前提があるけれど
犯人の親の世代が、子ども世代のの怒りを理解している点
興味深い団塊世代と団塊ジュニアの関係

日本という国は、やっぱりやり直しがききにくい社会かもしれない。
ただ、犯罪数はむしろ減少しているという事実の中で
この事件は本当に時代を象徴したものなのだろうか。
怒りは、いつも行動のエネルギーとなるはず
その矛先、向けるべき対象は社会であり自分自身であった。
殺人を犯すことで、自分も葬り去ってしまったのだから。

共感できることは
考える時間を得るためには、生活に対する精神的な余裕や、生活のためのお金がなによりも必要不可欠であり、それを十分に得られて初めて「考える」という行為をすることができる。

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by roman-tan | 2008-06-14 21:08 | 発見