アビシュカール

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ネパール語で「発見」

カテゴリ:Nepal( 76 )

懐かしい人

名前なんだったかな、この花。

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透き通った気分になりたい時に聞く曲はいつも同じ。

最近よく思い出す人
カトマンズの家で庭師で働いてくれていたサイラー
敷地内の家に住んで私たちと家を守ってくれた。

サイラーは今どうしているんだろう。
かつてはツリー・ハウスに住んでたという部族の人
いつも静かな笑顔で瞳がきらきら輝いていた。
何かあればとても頼りになる逞しさも備えていたし
賢い彼はどんな仕事もソツなくこなして
本当に信頼できる人だった。

もう顔はよく覚えていないのに
自分の中にあった大きな信頼感だけ懐かしい。
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by roman-tan | 2011-07-14 21:45 | Nepal

Nepal carpet

今のNepal carpetはデザインももっと洗練されていると思う。
おそらく児童労働が
今よりもっと当たり前に行われていた頃に購入したもの

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これはヤクの図案
ネパールの山にはチベット系住民が多く
ヤクは大切な動物

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素朴なデザイン

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たまたま見つけた面白い社会的企業
ヤクを中心にしたSHOKAY
SHOKAYは「営利事業を生み出すアメリカのNPO」
優秀な女性の起業で中国チベットを舞台としている。
日本でのマーケットも展開
フェアトレードでもあるんだろうけど
かなり高価であり
生産者に還元されているのかなとちょっと気になる。


今度お店に行ってみよう。



CENTRAL CARPET INDUSTRIES ASSOCIATION
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by roman-tan | 2010-11-28 21:30 | Nepal

Chautari Band

ネパールのイベントに出かけた。
メインはなんといってもChautari Bandなんだけど
その前の笑劇がなかなか面白かった。

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ずっと準備経過を見てきたので
お客さんの入りがとても気になったけど、大入りだった。
ネパールでは大きなお祭りの真っ最中でもあるし
NHKテレビのアジアクロスロードのカメラが取材に入っていたり
若手お笑い芸人あきげんが登場したりで
フィナーレはかなり盛り上がった。
まさしく、お祭り騒ぎ状態。

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去年も見たChautari Band
今年は会場も立派だしフルバンドで迫力があった。
竹笛はもちろん
大好きなインドの打楽器タブラ(तबला, tabla)演奏もとてもよかった。



主催者の最後の言葉
『援助もいいですが
 観光で皆さんがネパールに来てくれることが一番です。
 鉛筆のない地域もありますが
 ネパールはいいところです』

中産階級の私腹を肥やすだけの援助はいらないってことだよね。
そうか、彼もあの鉛筆キャンペーンは嫌いだったんだ。
ネパール人がいちばん自分の国をわかっている、当たり前だけど。

ネパールの生活はドタバタな毎日だったけど
思い返すと楽しかったなあと思えるひとときだった。


 
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by roman-tan | 2010-10-17 20:49 | Nepal

ネパール

最近ネパールがらみの話が多い。
日本にいるネパール人のイベント話や
シャプラニールの人と話していたら知り合いの名前が出てきたり。
今の仕事のきっかけも
もともとはプラッと参加したNGOでネパールに行ったことだったから
大きな部分を占めても仕方ない。

シャプラニールも随分と大きくなったんだなあと、HPを見て思った。
善意の押し売りのようなNGOも多かった中での成長株だったということなんだろう。
援助ビジネスともいわれる発展途上国のINGO/NGO
色々な話題が尽きなかった。

最近コンビニのレジでネパール人女性が働いていた。
「グルン」と名札がある。
グルン族のグルンさんはとても日本語が上手で真面目そうな可愛い人だ。
別のお店で買い物をしているのを見かけた。
今度会ったら話しかけてみよう。

ネパールレストランを開いた友人は
経営が上手くいかず、結局ネパールに帰った。

イベントを企画しているネパール人は
日本の大学を卒業して大企業に就職し
日本人と結婚して家も建てた。

私が初めてネパールを訪れた1980年代には考えられないような現象ばかり
世の中は変わったし、ネパールも日本も変わった。
いつまでも貧しくかわいそうだと思っておきたい
善意豊かなトンチンカンな人たちは
そんなネパール人に対して冷たい。
自分の描いた絵の中で楽しんでいるらしい。

ネパールどころか
日本にも問題は多いわけで、関わり方も変わってきた。

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by roman-tan | 2010-07-15 07:49 | Nepal

サドゥ

ヒンズー教のシバ神のことを調べていて再確認
破壊神シヴァの神とサドゥには大きな関係があった。
サドゥとはヒンドゥー教における出家苦行者、世捨て人。約5000年くらいの歴史があって、人数は1000万人ともいわれている。大きくシヴァ派とヴィシュヌ派に分かれ、シヴァ派が圧倒的に多い。額に三本の白い横線が引いてあればシヴァ派、三本の縦線はヴィシュヌ派。祈祷師、神官、僧侶になるのは僧侶階級のカーストのみだが、サドゥはカーストを問わない。
ネパールにはインドからやって来たサドゥが多かった。
私はよくトレッキングの最中に出会った。
ヒンズー教の聖地であるムクチナート(標高3900m)をめざすサドゥたち。
私物を全く持たず、軽装で(ボロキレ一枚身にまとい)、裸足で山道を歩いている。
この人たちは強くて深い信念を持っているのだろうと感心した。
何を好き好んで山登りなんてするのだろうと
煩悩の多い私には摩訶不思議。
奇怪な感じで近づくのが恐いけれど、意外ともの静かだ。
何かを問うてはいけない雰囲気がある。
記念撮影に気軽に応じてくれたサドゥもいたけど、後でお金を要求された。


サドゥ文化も日本に伝わってくると、オウムみたいなってしまうのが残念。
カルト集団ではなく、本来はもっと長い歴史と伝統に基づいたものなのに。
でも日本で見ると・・・やっぱり違和感があるのは仕方ない。
背後の環境や歴史、自然を現地で感じ取って
ホンモノのサドゥに会わないと理解は難しいかもしれない。

サドゥ ―小さなシヴァたち
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by roman-tan | 2010-01-29 20:11 | Nepal

川喜田半泥子

今朝の朝日新聞にあった一面広告
「川喜田半泥子のすべて展」
面影が先生そっくりなので驚いてしまった。

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川喜田半泥子が
今年7月に亡くなった川喜田二郎先生
のお父様であることは
葬儀で配布された資料で初めて知った。
川喜田半泥子とは

三重県津市の素封家・川喜田家の十六代当主で百五銀行の頭取を永く務めた。陶芸家、実業家、政治家「東の魯山人、西の半泥子」と称される。権力に拘泥せず、既成の概念にとらわれない、魂の自由人であった彼はその名号にもあるように「半ば泥みて、半ば泥まず」をモットーに、茶も書も絵画も俳句も、何でもハメを外して自分流に楽しんでしまうという、多芸多才の人だった。

彼は生涯で3万5千にのぼる陶器を残した。
が、ひとつとして売りはしなかった。
心の赴くままにろくろに向かい
生涯『偉大な素人』として生きた。
先生の権力に屈さない自由な発想と魂は
父親から譲り受けたものだったのかもしれない。
このお二人の名前が公に並ぶことはなかったように思うが
魂だけは異なった世界でしっかりと根付いていたのかもしれない。
生の作品をまだ拝見したことがないので、是非見てみたい。

津が誇る陶工、川喜田半泥子
我が師は半泥子
石水博物館
半泥子の仕事場

今年は身近に亡くなった方の多い年だった。
自分さえも死ぬのかもしれないと思った。
こうして心穏やかに大晦日を迎えられることも想像できなかった。
やりたいと思うことは、何でもやろうと思ったし
やりたくないことは、無理してやらないことにした。
昔はもっと自由人だったのに
窮屈で不自由な生活に慣れすぎてしまった。

今日、大晦日にいただいた恩師のメール
「神様から、八百万の神様から戴いたいのちです。ご無理をなさらないで・・」
子供が生まれた時、「授かった命」って実感したはずなのに
自分の命についてはそんな感覚をすっかり忘れていた。

私にとって、2009年は「命」を考える一年だった。

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by roman-tan | 2009-12-31 20:02 | Nepal

チョウタリ(chautari)

チョウタリが来るというので出かけた。
お寺での演奏はとても趣があってよかった。

チョウタリとは、バンスリ(竹笛)とタブラ(太鼓)演奏のネパール人兄弟ユニットで
CDも何枚か出している。
もともとのネパール民族音楽をベースに、独自の世界を繰り広げている。
ネパール贔屓の間ではとても有名なグループであり
演奏もどんどん洗練されている感じがする。





このコンサートは平和についてのイベントの一部で
地元出身の元外交官のお話や、映画の試写会など盛りだくさんだった。
数々の国で大使を歴任された方のお話には
様々な角度から現実を見てきた人の迫力、説得力があった。
平和や戦争の話をすると、どうしてもその人の思想的背景が出てきてしまい
なかなか受け入れにくいこともあるが
豊かな経験からのお話は、とてもバランスが取れていた。

お寺という歴史ある空間、控えめだけど力強い主張(平和)が伝わってきた。
イベントがいつでもどこでも行われる昨今だけど
主催者の主張(テーマ)を明確に持つことはとても重要だと思った。
集客力とイベント内容に感心した。

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イベントの最後は、初めて訪れたお店でのネパール料理。
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by roman-tan | 2009-12-10 22:33 | Nepal

トヨタとKJ法

トヨタとKJ法には、深い関係があることはなんとなく知っていたけれど
具体的にどんなものか、未だによくわからない。
どんな点に関わっていたのか、いつか聞いてみたい。
トヨタのトヨタ方式
トヨタの人材育成
過酷な労働条件で問題になったが
ここまでの企業に上り詰めた影にはKJ法の影響もあったのだろうか。


川喜田先生が亡くなって
家にある著作などを紐解いていると
最後に近い著書、『野性の復興」には興味深い箇所がいくつかあった。
 KJ法は一般のビジネスマンや生活者の間では大いに歓迎されたのだが、知的エリートをもって任ずる階層からだけは、冷ややかに無視、ないしは反発を受けることが多かった。
 なぜ、そうなのだろう。私はそこに、長い管理社会的な文明の、その階級構造の残存、いわば尾骶骨の名残を感ずるのである。
 表面は民主的になっても、旧支配階層には、情報のボトムアップよりトップダウンを偏愛する風が残っているのではないか。教養を背景に、楽なトップダウン型でテキパキやってみせ、そういったやり方で高級人種だと思ってもらいたい虚栄。それがひそかな(ヘゲモニズムと結びついていなければ幸いである)
また文末にあった歌も意外なもの

今もなお なせよと囁く声ありて
   辿りゆくなり 遠きこの道
 (川喜田先生76歳)


フラットでの徹底した情報収集は
権威主義者は望まないということだ。
事実優先、現場主義はトップには都合が悪いことも多い。



通夜・葬儀の様子、資料や思い出話を聞いて
社会的には、数年前からすでに一線を退かれていたけれど
大きな業績を改めて知る。
カナダに訪問中の天皇陛下からも、宮内庁経由でお悔やみが届いたそうだ。
お別れ会は7月25日


まだ痛み止めが必要なこの時間
これを機会に、色々また読み直してみたいと思う。

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ナツエビネ

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by roman-tan | 2009-07-13 21:34 | Nepal

川喜田二郎の死

川喜田先生が亡くなった
【産経抄】7月11日

私が初めて先生にお会いした時は、既に全盛期を過ぎていた。
それでもKJ法はまだまだ知名度があった。
現在ワークショップでポストイットを利用する方法
KJ法はその原点ともいえるようなもの。
もともとヒマラヤでというフィールドで得た情報管理のために編み出されたKJ法
徹底的で真摯な情報管理姿勢は、崇高な感じすらした。

私が初めてネパールを訪れたのは、川喜田先生の団体によるもの。
登山家として、KJ法以外で
先生がNGO活動をしていたことは、あまり知られていない。
現在はNPO法人ヒマラヤ保全協会として
その前身は1974年に設立されたNGOヒマラヤ技術協力会
エコツーリズムも1980代には積極的だった。
海外協力NGOのさきがけともいえる。

文化人類学者からの立場から
適正技術、環境保全、住民参画などのキーワードを基に
ネパール山岳住民に技術協力を行ってきた。
世の中、まだそんなものに見向きをしていない時代に
早くからその重要性を唱えていた。

私がお会いした時は初老の頃
とても上品な方で、名誉とか世俗の欲には興味を持たない方というのが私の印象だ。
それでも、権力には決して屈しないという頑強さがあった。
家にも泊まっていただいたことがあった。
娘の名前も、先生にゆかりの深いネパール山村名からいただいた。
それもあって
先生の全集作成時、その村の調査書の翻訳を任された。

配偶者とは深い信頼関係があったようで
私の手術の日、奥さまからご連絡をいただいたき
親族と共にということで、最後のお別れに出かける。

私と娘は、家でご冥福をお祈りしたい。


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by roman-tan | 2009-07-11 16:44 | Nepal

ダウラギリ

ヒマラヤ登山をネット中継 札幌の登山家が自ら撮影
世界7大陸最高峰の単独無酸素登頂を目指す札幌市の登山家栗城史多さん(26)が15日、ヒマラヤにある世界第7位の高峰ダウラギリ(8、167メートル)を登る様子を撮影し、インターネットで生中継した。高度に体を慣らすため登った標高6500メートル付近で約40分間中継し、公式ホームページで公開。映像は何度か途切れながらも、快晴の中、雪で真っ白に輝くヒマラヤの山々が映し出された。

栗城史多オフィシャルサイト
ライブ中継
本人撮影
ブログ

すごい映像!
美しい薪の形のダウラギリ、神々の座と呼ばれるヒマラヤ。
聖域に入り込んでしまったという感じがする。
それにしても高山病はやっぱりとても苦しそう。
私は富士山よりちょっと高い位の村までしか行かなかったけど
それでも頭痛と吐き気がひどくて苦しかった。
富士山の倍以上の高度、想像も難しい。

挑戦を続ける姿、死と常に隣り合わせに身を置くことで生を感じているのだろうか。
単独無酸素
つい、死なないでねと願ってしまう。

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by roman-tan | 2009-05-15 23:46 | Nepal