アビシュカール

alpinetaro.exblog.jp

ネパール語で「発見」

タグ:ネパール ( 13 ) タグの人気記事

Chautari Band

ネパールのイベントに出かけた。
メインはなんといってもChautari Bandなんだけど
その前の笑劇がなかなか面白かった。

f0077807_20455263.jpg


f0077807_2046945.jpg


ずっと準備経過を見てきたので
お客さんの入りがとても気になったけど、大入りだった。
ネパールでは大きなお祭りの真っ最中でもあるし
NHKテレビのアジアクロスロードのカメラが取材に入っていたり
若手お笑い芸人あきげんが登場したりで
フィナーレはかなり盛り上がった。
まさしく、お祭り騒ぎ状態。

f0077807_20463434.jpg


去年も見たChautari Band
今年は会場も立派だしフルバンドで迫力があった。
竹笛はもちろん
大好きなインドの打楽器タブラ(तबला, tabla)演奏もとてもよかった。



主催者の最後の言葉
『援助もいいですが
 観光で皆さんがネパールに来てくれることが一番です。
 鉛筆のない地域もありますが
 ネパールはいいところです』

中産階級の私腹を肥やすだけの援助はいらないってことだよね。
そうか、彼もあの鉛筆キャンペーンは嫌いだったんだ。
ネパール人がいちばん自分の国をわかっている、当たり前だけど。

ネパールの生活はドタバタな毎日だったけど
思い返すと楽しかったなあと思えるひとときだった。


 
[PR]
by roman-tan | 2010-10-17 20:49 | Nepal

ネパール

最近ネパールがらみの話が多い。
日本にいるネパール人のイベント話や
シャプラニールの人と話していたら知り合いの名前が出てきたり。
今の仕事のきっかけも
もともとはプラッと参加したNGOでネパールに行ったことだったから
大きな部分を占めても仕方ない。

シャプラニールも随分と大きくなったんだなあと、HPを見て思った。
善意の押し売りのようなNGOも多かった中での成長株だったということなんだろう。
援助ビジネスともいわれる発展途上国のINGO/NGO
色々な話題が尽きなかった。

最近コンビニのレジでネパール人女性が働いていた。
「グルン」と名札がある。
グルン族のグルンさんはとても日本語が上手で真面目そうな可愛い人だ。
別のお店で買い物をしているのを見かけた。
今度会ったら話しかけてみよう。

ネパールレストランを開いた友人は
経営が上手くいかず、結局ネパールに帰った。

イベントを企画しているネパール人は
日本の大学を卒業して大企業に就職し
日本人と結婚して家も建てた。

私が初めてネパールを訪れた1980年代には考えられないような現象ばかり
世の中は変わったし、ネパールも日本も変わった。
いつまでも貧しくかわいそうだと思っておきたい
善意豊かなトンチンカンな人たちは
そんなネパール人に対して冷たい。
自分の描いた絵の中で楽しんでいるらしい。

ネパールどころか
日本にも問題は多いわけで、関わり方も変わってきた。

f0077807_7485689.jpg

[PR]
by roman-tan | 2010-07-15 07:49 | Nepal
Nepal's Maoists gain first seats (BBC News)
4月10日に実施されたネパール制憲議会選挙
マオイストが健闘している(まだ日本のニュースでは出てないよ)。
元アメリカ大統領ジミーカーターが選挙のオブザーバーということだ。
"It's been somewhat embarrassing to me and frustrating to see the United States refuse among all the other nations in the world, including the United Nations, to deal with the Maoists, when they did make major steps away from combat and away from subversion into an attempt at least to play an equal role in a political society".
マオイストの台頭からここにたどりつくまで、多くの犠牲があった。
マオイストといっても、中国共産党のようなイデオロギーではないと思う。
貧困・差別に身動きがとれず苦しむ人々の叫びに近いような気がする。
ヒンズー教は国教ではなくなるし
国王はいなくなる。
マオイストの治安悪化によって、経済成長率はマイナスが続いた。
この埋め合わせができるだろうか。
またネパールは、どんな国になっていくのだろう。

これまでの経緯
2007年12月28日 第三次暫定憲法改正
2008年1月11日  閣議で4月10日に制憲議会選挙を実施決定
暫定憲法のポイント
●国王は国政に関与する如何なる権利をも有さない。
●首相は国政及び行政に関する全ての事項に関する決定権を有する。
●閣議は行政決定権、判決の執行状況を監視する権限、大使等の任命権限を有する。
●暫定議会は330議席(209=現上下両院議員、73=マオイスト、48=市民社会)
●制憲議会は497議席(小選挙区=240、比例代表=240、閣議推薦=17)
2008年1月10日の内閣改編後の主要閣僚ポストと所属政党(数字は閣内序列)
●首相(兼国防相)  ギリジャ・プラサド・コイララ((1)コングレス党)
●平和・復興大臣  ラム・チャンドラ・ポーデル((2)コングレス党)
●外務大臣  サハナ・プラダン((3)共産党UML)
●情報・通信大臣  クリシュナ・バハドゥール・マハラ((4)マオイスト)
●財務大臣  ラム・シャラン・マハット((7)コングレス党)
●内務大臣  クリシュナ・プラサド・シタウラ((9)コングレス党)
*コングレスは保守政党のこと
制憲議会選挙の合意23項目の合意のポイント
●制憲議会の初日の会合で連邦民主共和制へ移行する。
●制憲議会の議席数を601とし、比例代表枠335、小選挙区枠240、閣議指名枠26とする。
●閣議指名枠には、選出されなかった少数派グループの代表を含める。
●マオイストは略奪した資産を1か月以内に返却し、徴税、強制献金及び脅迫行為を中止する。
●マオイスト兵の統合に関し、暫定憲法に基づき閣僚より構成される特別委員会が作業を開始する。
(外務省HP参照

追記:<ネパール>制憲議会選で毛派が第1党の勢い (4月12日 23時02分 )

f0077807_1724785.jpg

                 ライラック
[PR]
by roman-tan | 2008-04-12 17:09 | Nepal

ガソリン

<ガソリン>買いだめ・ポリ容器保管やめて 消防庁呼びかけ [ 4月1日 毎日jp]
総務省消防庁は、消費者が値下げしたガソリンを買いだめして危険な保管をする可能性があるとして、全国の消防署や石油小売業界に監視強化を要請した。ガソリンをポリ容器で保管すると、気化してキャップ部分からもれ出し、静電気などで引火する可能性がある。消防法はポリ容器での販売・保管などを禁止しており、専用の金属製容器の使用を求めている。
消防庁は、特にセルフ式のガソリンスタンドで客が買いだめする恐れがあるとして警戒しており、不適切な販売などをしないよう呼びかけている。
ポリ容器保存は危険だったんだ!
カトマンズでは、常時20ℓのガソリンを2タンク家に保管していた。
規則もないし保管状態もいい加減だったので、今考えるととても恐ろしい。
でも、インドから何時ガソリン(砂糖も)が来なくなるかわからない状態だったので
保存食品と共にガソリンの買いだめは、当然のことだった。

ガソリンの流通が危うくなりそうな時は、車はなるべく使わず自転車で移動した。
標高1350メートルで、盆地のカトマンズではマウンテンバイクだった。
車が減ると、街の排気ガスも減少し健康にもよかった。


ガソリン等の暫定税率が1日失効し、小売価格の値下げが始まった。
ガソリン、今日の価格は119円/ℓだった。
かなりの値下げだけど、これで本当にいいのかとちょっと疑問
ガソリン代が高いから公共交通や自転車を使い始めた人もいるだろうに
それは環境をはじめ、社会にとってはいい傾向だったはずなのでは?
道路特定財源論議の盲点をつく 脱「車」、脱「道路」の設計を 安原和雄(日刊ベリタ)

気になるネパールは
<チベット暴動>ネパールに飛び火 逮捕者1000人(4月1日 毎日新聞)
ネパール政府が強硬措置でデモを取り締まる背景には、中国との友好関係を重視し、5月にエベレスト山頂付近である北京五輪の聖火リレーに対する妨害行為を未然に封じる狙いがある。政府関係者によると、聖火リレーはネパールを通過しないが、ネパール側からエベレストの登山路を利用して亡命チベット人らが越境する可能性が中国側から指摘されたという。このためネパール政府は登山路の閉鎖を検討したが、5月は外国人登山者の入山ラッシュが続くため、封鎖は困難との見方がある。政府当局は、登山路周辺に治安要員を配置して監視することも検討しているという。ただ、制憲議会選挙を前に政治勢力間の衝突が各地で続発、治安当局はその対応に追われ、登山路の監視まで手が回らないのが実情だ。政府関係者は「(チベット仏教最高指導者)ダライ・ラマ14世と中国指導部が対話し、早く事態を収拾してほしい」と本音を漏らす。
ネパールは今から一番暑い季節となり、観光客も増える。
巻き添えなんぞにはなりたくない、が本音だろう。
カトマンズには中国人はそれほど多くなかったような気がするけど
なぜか影響力は大きかった。
でも、ネパールのマオイストが中国支持とは思えない。
チベット独立はとてこて
「中国の態度はいかん!」と他国がもっと言ってもいいんじゃないの。

f0077807_19143978.jpg

ガソリンから、う~ん、どうしてもネパールの話題になってしまう。
気になる・・・・
[PR]
by roman-tan | 2008-04-01 19:19 | 公共交通

ネパールのチベット人

ネパールでチベット人113人拘束 反中国デモで警官隊と衝突 [ 3月30日] 共同通信
【カトマンズ30日共同】ネパールの首都カトマンズで30日、中国に抗議するチベット人デモ隊約200人が中国大使館別館に押しかけ、警官隊と衝突した。警察は、113人を拘束したと発表。デモ隊側は、参加者4人が負傷したとしている。若者や僧侶を中心とするデモ参加者は「チベットに自由を」などと叫び、警官隊は違法デモとして包囲、殴るけるなどして拘束者らを次々と護送車に押し込んだ。
ネパールでチベット人84人拘束 中国大使館に抗議デモ [ 3月29日 共同通信]
【カトマンズ29日共同】ネパール警察によると、首都カトマンズで29日、中国大使館領事部へ抗議デモに向かおうとしたチベット人数百人を警官隊が制止し、84人を拘束した。ネパールは中国チベット自治区に隣接、約2万人のチベット難民が暮らしているとされる。チベット自治区などでの暴動鎮圧以降、連日のようにデモが行われ、これまでに数百人が拘束されたが、大半は即日釈放されている。
カトマンズでの抗議デモを行ったチベット人が逮捕されたという記事は前から流れている。
Tibetan children in Nepal protest (BBC NEWS

ネパールでチベット難民ら大規模デモ、245人を拘束【ニューデリー】2008年3月24日 読売新聞
ネパールの首都カトマンズの国連施設前で24日、中国チベット自治区の暴動に国連が介入するよう求めるチベット難民や僧侶らの大規模デモがあり、AFP通信によると245人が警察に拘束された。警察は、集まった500人規模のデモ隊に対し、竹棒でたたくなどして解散させた。カトマンズの国連施設前では、チベット暴動発生直後から、ダライ・ラマ14世の提唱する国際調査団派遣を訴えるデモ隊がほぼ連日繰り出し、これまでも大量の逮捕者が出ていた。
逮捕されても、大半が即日釈放ということなのでよかった。
中国の手前、一応逮捕するような気もする。

カトマンズのネワール人は仏教徒だし
ヒンズー教のカースト上位者は、ダライラマのいるインド寄りだし
文化、メンタルな部分でネパールは中国よりはチベット支持だと思う。
ただ、援助国であり貿易相手国でもある中国
ネパールの主な生活物資はインドから陸路でやってくる。
ガソリン、砂糖、医薬品・・・・
中国とインドという大国に挟まれた何の資源もない小国ネパールは
独自の政策というよりは、いつも周りに翻弄されている。
そんなネパールも哀しい国
その背後にはアメリカが登場するのはいうまでもなく・・・
ちょっと前の記事だけど、そんな関係がわかりやすい。
チベットは見捨てられるのか (2003年7月1日  田中 宇

他の文化や宗教を、なぜコントロールしようとするのか。
日本もかつてそうだったけれど、破壊行為に至り結局破滅へと・・・。
どこでも同じ行為は繰り返される。
歴史は繰り返されるって、人間は学習能力がないってことかも
[PR]
by roman-tan | 2008-03-30 20:09 | Nepal

チベットの独立

チベットの話題に毎日事欠かない。
文化的価値は充分評価するとして
地理的に平均高度4000m以上という孤立化したチベットが
経済的に独立できるのだろうか、という点にとても興味がある。

ダライ・ラマは封建的な農奴制の霊的・現世的首長として
1951年まで確実に農奴制を敷き、それを中国が解放したといわれる。
でも、これは中国よりな見方で、日本の大東亜共栄圏の理由付けによく似てる。
90年以後、チベット自治区の財政収支は90%以上が中央政府からの割当金。
その後の大規模化する投資は、拝金主義と格差を生み出したそうだ。
しかし、昨今は経済は急速に発展しているといわれる。
2006年の経済成長は13.2%以上。中国全体では 10.5 パーセント
2007年の青蔵鉄道(西寧とラサとを結ぶ1,956 km)によって
経済活動も大きく進化したともいわれるが
恩恵を預かるのは漢民族ばかりで、その鬱積が暴動の起爆剤だったのか。
f0077807_21563658.jpg

山にいるチベット人はボテと呼ばれ、ネパール人からは下に見られていた。
彼らも名前からチベット人だとわかるのに、あえてネパール人になりたがる。
カトマンズには、裕福なチベット人が意外といた。
もともと難民だけど、コツコツお金を溜めてチベットに送金しながら事業でも成功
子供には立派な教育をつけていた。
しかし、子供たちからはチベットの文化・伝統が匂わない。

ネパールとチベット、ネパールと中国は陸続きでありどちらとも関係が深い。
中国人よりもチベット人が身近だけれど
昔は安価で粗悪な中国製品でカトマンズは成り立っていた。
ネパールに援助と称してせっせと道路を作る中国を見て
「今に中国から戦車がやってくる!」とネパール人も揶揄していた。
 中国ーネパール交易は、80年代半ばより大幅に増加してきた。手芸品や香料を除けば、ネパールのチベットへの輸出品は、ほとんどが米、野菜、果物や乳製品といった、チベット自治区の市場で安く売られる食料品である。主要な輸出品は植物性のギー(水分を蒸発させて脂肪分を固めたもの)であり、これは脂っこい、バターのような塊で、多くの「バターランプ」(チベットの僧院で典型的に見られる)の燃料となる伝統的なヤクバターの代替品として今日使われている。逆に、中国からネパール-チベット国境を通じて輸出されるのは、プラスチックや繊維製品のような単純工業製品がほとんどである。中国サイドもネパールサイドも、2007年に北京とラサを結ぶ予定の Qinghai-チベット鉄道の完成が、相互の経済的関係を促進するだろうと予想する。同鉄道のネパール国境への伸長は、2007年以降に着手される。
 地理的状況や、国内における整備された道路不足のため、Humla、Dolpa、上部ムスタンのようなネパールの辺鄙な地方は、国の中心部からと比べむしろチベットからのアクセスの方がよい。そのため基本的なネパールの食料供給を国境の中国サイドからの「再輸入」で賄っている状況だ。中国およびチベットのビジネスマンや運輸会社がこの交易に占める割合は不明である。中国は長年にわたりネパールに対して道路建設のための援助を行ってきたが、いくつかの有名なプロジェクトを除けば、このような一連の援助によって作られた道路は、ネパール国内の交通網整備というより、越境交通のために役立っているといえよう。
ネパール-チベット国境における不均衡とアンバランス
ネパールを通して知ったチベットのことが気になる。
戒律の厳しい点で、チベット僧院はカトリック修道院に似ているという印象
私にとっては、目の鋭い頑強なチベット人
ビラを播いたとか、デモしたとか、その程度で民衆に銃を放つのは
発展途上国ではありがちなことだけど
どう見たって、中国の弱いものいじめにしか見えないのに・・・・

青蔵鉄道に乗ってラサに行きた~いっと思っていたけど、当分おあずけ



参考:
チベット人は民族自決の権利を有する
-自由アジア放送チベット部主任ンガポ・ジグメ氏単独インタビュー-


チベットの未来
[PR]
by roman-tan | 2008-03-20 22:00 | Nepal

モモ

毒入り中国製冷凍餃子が恐ろしい!
冷凍餃子は食べないけど、お弁当で時々使ってしまった冷凍食品
大丈夫だったのかな、とちょっと心配
極力避けてはいるけど、もう一品という時につい・・・

家ではあっさりとした水餃子ばかり作るので、餃子は買わない。

ネパールにはモモという丸い蒸し餃子がある。
皮は小麦粉と水で練ったものでかなり厚く小龍包に近い。
中身は水牛、鶏肉、羊肉等、タマネギ、ニンニク
厚めの皮の中がジューシーでとてもおいしい。
レシピがあった。(写真ソース)
f0077807_21145016.jpg

そういえば、モモを蒸す2段のアルミ製の蒸し鍋「モモコ・バーロ」を持ち帰った。
モモではなく、お饅頭を蒸す時に役立っている。

モモのお店が立ち並ぶ通りもあった。
カトマンズで一番おいしいモモが食べたいと、ネパール人の友人にお願いしたら
薄暗い、ものすごい迷路を歩いて連れて行ってもらったことがあった。
それなりにおいしかったけれど、それよりも
周囲の気配の不気味さ、薄暗さで食べた気がしなかった。
おいしさには、安心感が必須だとつくづく思った。

ついでに
餃子の起源「餃子の発祥地はロシアか中国か
[PR]
by roman-tan | 2008-02-01 21:25 | Nepal

チベット

ネパールにはチベット難民が多く住んでいて
観光客向けのレストランを開いたり、土産物を売っていた。
文化大革命による中国のチベット侵攻で難民となったチベット人
今は、その子供、孫の世代になっている。

チベット僧院封鎖、ダライ・ラマへの勲章授与受け
チベット自治区の主要都市ラサでは、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世に米議会の最高勲章「ゴールド・メダル」が先週授与されたことを受け、少なくとも1カ所の僧院が軍部隊によって封鎖されている(2007.10.25)。
中国は、ダライ・ラマへの勲章授与が気に食わないわけだ。
チベットの文化を破壊し、難民生活を強いられたチベット人
その辛さを、カトマンズでチベット人から聞いたことがある。
中国政府がどれだけひどいことをしたのか
そしてそれが、現在も行われているとしたら情けないことだ。


チベットにまつわる思い出のひとつ
まだカトマンズ空港で、荷物を飛行機までトラクターで運んでいた頃
待合室で搭乗を待っていると、白人紳士が声をかけてきた。
「香港行きのフライトですか?」
帰路は一人で、香港1泊予定だった。
紳士の名刺には、アメリカ大使と書かれていた(当時はまだネパールも長閑な国だった)。
「このチベットの少女は、香港経由でLAの大学に進学するためにアメリカに行く。けれど、英語もまだあまり話せないし、国からでたこともない。香港には迎えが来ているから、連れて行ってほしい」と頼まれた。
座席に座るのを見届けて、香港空港で一緒に迎えが来るのを待ってあげた。
結局、私も迎えの人に予約したホテルまで送ってもらった。

ハリウッドでスチールカメラマンをしていたという騒々しい出迎えの香港人
黒リムジンの迎えの車
何も話さず、ただニコニコしていたチベット人少女
私の風体はいかにも日本人的だったから、紳士は声をかけてきたのだろう。
紳士と少し話をしてみて、信用できそうだったので引き受けた(大学が一緒だった)。
今考えると、ちょっと危険な感じがしないでもない。


f0077807_15372787.jpg

あのチベット人少女は、アメリカまでたどり着いただろうか。
きちんと大学へ入れただろうか。
ネパールでチベット人にはたくさん会ったけれど
彼女のことは、どうしているかと何故か時折思い出す。
[PR]
by roman-tan | 2007-10-26 15:43 | Nepal

マダール

             ネパールの打楽器、マダール
f0077807_1949476.jpg

久しく、ほったらかしになっていた。
ヒマラヤの山岳民、マガール族にオリジンがあるといわれる。
ネパールで広く演奏される太鼓
横において足に紐をかけて押さえ、両側を叩く。

インドのタブラ、アフリカのコンガ
民族楽器の中でも太鼓が好きなので
カトマンズで先生にマダールを習っていた。
日本でCDを出したこともある、マダール演奏の第一人者ヌチェ・ダンゴール
ヌチェは8歳の時、音楽家であった父から舞踊を習い始めた。しかし国王の前でのステージで背骨を折る事故に会い、また不幸にもその2年後再度公演中に骨折した。彼は舞踊を断念し楽器の道を選んだ。そして父、姉とも音楽家である環境のもと、彼の才能は打楽器奏者として花開き、1973年、21歳の時初の海外公演をブルガリアで行った。
1977年から自らの音楽学校を始め、他の学校、大学でも音楽指導を続けている。ヌチェはネパールの伝統音楽を愛しその造詣も深いが、古典の枠を超えた創作音楽にも意欲的であり、その作品は、エネルギッシュな民族の情熱を新たな形で伝えてくれる。彼はネパールの伝統楽器・音楽を世界中の人々に知らせたいと思っている。特に日本から膨大な援助を受けていることに対し、自分の音楽でお返しをしたいという希望を持っている。また自分自身、骨折の後遺症を持っていることもあり、今後は福祉施設等でのボランティア公演も積極的に行っていきたいと語っている。レパートリーは約400曲。
海外公演歴 :インド(全域)、パキスタン、ブルガリア、中国、タイ、ビルマ、シンガポール、北朝鮮、香港、日本、ドイツ、スイス、ベルギー、ユーゴスラビア、スペイン、フランス、ロシア、カナダ、イギリス
日本での公演:1983年広島市 1993年全国22市 1994年広島市、三浦市
検索してみたらヒットしてびっくり、あらあらお顔が、なつかしー!
山で叩かれるマダールは、歌の伴奏で使われる素朴な音色けれど
ヌチェが叩く太鼓はすごい迫力で感動ものだった。
ソロでもよし、ジャズとのセッションもできるアレンジだった。

楽譜などもともとないので、ヌチェが文字にしたものをノートにとった。
叩き方、リズムの組み合わせで、あとはヌチェの想像力で世界は広がっていく。
ヌチェはネワール族のジャプというカーストで
ジャプのもの凄い大きな太鼓も教えてもらって、買って帰ってきた。

ヌチェの顔を久しぶりに見て、カトマンズに行ってみたくなった。
[PR]
by roman-tan | 2007-07-27 20:34 | Nepal

浜田知明

浜田知明(はまだちめい)という版画家を知ったのは、つい最近のこと。
f0077807_21115491.jpg

開高健の闇シリーズ、「夏の闇」「輝ける闇」をもう一度読み直そうとして
印象深い表紙の版画の作者が、浜田知明だと知った。
1917年熊本生まれ。39年東京美術学校油画科卒業。56年第2回現代日本美術展佳作受賞、第4回ルガノ国際版画展次賞受賞。62年第2回福島賞受賞。64年渡欧。65年帰国。フィレンツェ美術アカデミー版画部名誉会員となる。79年渡欧。89年フランス政府よりレジョン・ドヌール勲章シュヴァリエ賞受賞。93年大英博物館日本ギャラリーにて作品展示。その他NHK「版画家浜田知明」はじTV放映数回。個展多数回開催。
浜田は「冷たく、暗い、金属的な感じ」を求めた結果、技法的には一貫してエッチング(腐食銅版画)を主体に作成し、アクアチント(松やにを防蝕剤に使った銅版画の一種)を併用することもある。核戦争のような人間社会の不条理や人間心理の暗部といった深刻なテーマを、ブラックユーモアにくるんで表現している。浜田は発表する作品を厳しく選別しており、発表する作品は平均して年間数点に過ぎない。また、初期の作品は大部分が本人によって破棄されたといわれている。1983年(昭和58年)からはブロンズ彫刻にも取り組み、新境地を見せている。『ウィキペディア(Wikipedia)』
重いベトナム戦争をテーマにした
「夏の闇」「輝ける闇」、未完の「花終る闇」
昔読んで、いっぺんに開高健が好きになったシリーズだった。
内容もさることながら、言葉・文章に感動して
もう一度読んでみようと思って積んである。
読む時間がなくて、全然進まないけれど・・・

「開高健記念アジア作家講演会シリーズ」
開高健の遺族より、1990年より毎年アジアの作家を招待し開催している講演会
友人のネパール詩人バニラ・ギリもかつて招待された。
彼女に会いに東京会場に出かけると
そこには現代詩人と呼ばれる有名な方々が多くいらして、気後れた。
結局、私は彼女のホテルの部屋で話すことになった。
私のブログ「アビシュカール」は、彼女の詩集の題名でもある。
まだ翻訳が途中で申し訳ないのだけれど・・・

その時、彼女は日本語は読めないからと、「開高健」の特集『太陽』が私の手元に。
当時お元気だった開高健の妻牧羊子も、2000年に亡くなった。

浜田知明、開高健、バニラ・ギリ
好きになるには、やっぱり共通点があるみたい。
[PR]
by roman-tan | 2007-07-23 21:50 | 映画とか・・