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ネパール語で「発見」

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産業開発青年協会

昨日見つけた「産業開発青年協会」
もう死語なのかと思ったら、今まさにその存続が問題になっている県があった。
宮崎県の産業開発青年協会
建設大学との関係もある。
昭和37年 建設省建設大学中央訓練所発足
昭和40年 中央訓練所派遣開始
平成2年  中央訓練所派遣終了

産業開発青年隊廃止か 少子化で入隊者減(2007.9.21 MIYANICHI PRESS)
県土整備部によると、同隊は戦後間もない1951(昭和26)年、職業訓練や土木建設技術者の養成を目的に発足した。18―26歳を対象に、測量や土木技術の実践的な学習のほか全寮制の集団生活を通して規律訓練や体力養成をするのが特徴。毎年度約100人ずつ入隊し、6割程度が県内で建設業などに就いてきた。以前は24県に設置されていたが、96年度以降は熊本(2008年廃止方針)と本県に残るだけだった。しかし、少子化や若者の志向の変化などで03年度ごろから入隊者が百人を割り込んだ。定員を60人に減らした昨年度は23人、本年度も22人だった。寮や研修施設の維持、人件費など昨年度の運営経費は1億2528万円。県は昨年度、庁内で縮小やほかの職業訓練施設との統合、外部委託などを検討したが、「経費削減の効果や産業開発青年隊の特色がなくなり、存続は厳しい」(県土整備部)として、来年度の募集も中断している。
産業開発青年隊廃止を 133事業、知事に中間提言 事業仕分け委(2007.10.18西日本新聞九州ねっと)
「不要」と提言された産業開発青年隊事業は1951年から、若年建設技術者の育成を目的に始まった事業で、本年度当初予算額は約4600万円。ただ、全国でも本年度で廃止する熊本と宮崎の2県しか残っておらず、仕分け委では「費用対効果が低い」「行政としての役割は終了」などの意見が多数を占めた。
熊本県産業開発青年隊訓練所は平成20年3月に廃止が決定している。沖縄の場合は発展的だ。
社団法人 沖縄産業開発青年協会
体きたえて脱フリーター 国の若者自立塾(asahi.com沖縄、2004年7月11日
フリーターの激増を受けて、国は2005年度から自立支援策として合宿式の「若者自立塾」を始める。そのモデルの一つは、かつて南米に移住する若者を育てた「沖縄産業開発青年協会(青年隊)」だ。建設や農業実習などをしながら、厳しい規律のもとで半年間を過ごす。
若者就労支援機関として、形を変えながら存続していくことは有効だと思う。
沖縄県内の失業率は依然として高く、完全失業率は8.0%(全国3.8% 2007.4月)。改善の兆しが見えない失業率の問題は県政の重要課題。特に若い世代は失業率も高い。かつては就職率90パーセントから100%と高い水準を保ってきた青年隊の就職率だが、失業率が高い現在は約50%。
殆どの産業開発青年隊は職業訓練所になった。
戦後の復興期に設立され、その役目はもう終わったのかもしれない。
建設大学と産業開発青年隊の関係は、日本の外へと目が向いた時期もあったけれど
本来は、若者の就労支援施設であったようだ。
沖縄は時代とともに形を変えながら存続しているケースだろうか。
団塊世代の就労支援が目立つけれど、団塊世代はほっといても何とかしていける。
社会にとっては、若者就労支援の方がよっぽど重要のような気がする。
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by roman-tan | 2007-10-29 15:40 | 森林

ブラジルと建設大学

今日の朝日新聞の朝刊記事「地球異変:食われるアマゾン」
大豆畑へと森林が変わっていく状況について、大きく取り上げられている
アマゾン流域の森林破壊については、もうかなり前からいわれ続けている。
反論した本もあるけど・・・・
環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態ビョルン・ロンボルグ (著), 山形 浩生 (翻訳)
アマゾンの森林は人類が誕生してからわずか14%しか減少していない
新聞記事中の「1980年ごろから日本の資金援助、農業専門家派遣がされている」
もちろん、JICAが発展途上国に対する援助として行なわれていただろう。
国際協力事業団(JICA)は、1974(昭和49)年に「海外技術協力事業団」、「海外移住事業団」等の業務統合により設立され、2003年10月1日に「独立行政法人国際協力機構(JICA)」が発足された。
そう、JICAの全身は移住事業団でもあった。
それと、富士宮根原にあった旧建設省の建設大学とブラジルの関係
建設大学は1996年に廃校となり、現在は冨士教育訓練センター(静岡県知事認定)として残る。
建設大学が積極的にブラジルの開拓・移民に関っていたという話
建設大学は、治山治水等の土木事業に適応する高度技術をもった技術者供給のために開校された。
昭和35年(1960)12月21日の衆議院建設委員会の議事録を読むと、その目的がよくわかる。
建設省の組織が、なぜブラジル開発と深い関係を持つのかずっと漠然とした疑問だった。
建設大学は、建設省管轄の学校(正確には建設大学校中央訓練所)であり
中央訓練所産業開発青年隊とも呼ばれ、土木業界の予備軍養成機関でもあったそうだ。
そこでの生活は
「学費免除」、全寮制の教育の中に軍隊規律が取り入れられていた。ふとんのたたみ方から食事の作法まで、先輩に体で仕込まれる。1日3回、決まった時間に点呼があった。朝6時起床、夜10時消灯。その間、“地獄の特訓”に耐えつつ、土木関連の技術を学ぶ。厳しさを例えると、「1年虫けら、2年奴隷、3年人間、4年神様」
この「産業開発青年隊」というのは
戦後の1951年、農村部の二、三男たちに建設や機械等に関する技術を教え国の復興に活用することを目的として設立されたものである。

当時建設省技官で産業開発青年隊の生みの親であったのが、長沢亮太氏だ。
長沢氏は大学在学中学徒動員で出征。陸軍少尉として戦車部隊に入り桂林作戦に参加。戦後厚生省人口問題研究所に入り4年間の研究生活を送った。移住事情の視察の為、渡伯した際優秀な能力を持っていながらドイツ、イタリアに遅れを取っている日本人には協力一致の精神に欠けているとの感を深くし友愛と団結を精神的支柱とした産業開発青年隊の構想を持った。しかしこれを発表した所、不穏な思想の持ち主であるとして米軍に拘引され20日間のブタ箱生活を送ったという。この構想が建設省に採用され、建設省海外協力課課長補佐、総理大臣官房審議室連絡庁官を勤め、元建設省建設大学校中央訓練所所長代理となった。
他県にも産業開発青年隊はあるが、建設大学にあったものは別格だったようだ。
これで納得できたけど、戦争の臭いがプンプンする。
日本の高度成長期の建設大学、道路行政、土木・建設関係・・・時代が必要としたのだろう。

一度も訪れたことはないけれど、建設大学跡の様子はこちらのブログから見れる。

アマゾンの森林破壊と日本の関係
在留ブラジル人も多いし、けっこう身近な問題
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by roman-tan | 2007-10-28 15:45 | 森林